2014年10月23日木曜日

内向性と外向性の狭間で

自分は自分のことを内向的だと思っていますが、
外向的なことも(すごい労力を使いますが)やってやれないことはないです。

例えば今年の夏、
あるお祭りの屋台で食べ物を買いました。

そこで出来上がりにちょっと待ち時間があったのですが、
不意に店長から世間話を振られました。

特に挙動不審になることもなく会話を…ってハードルが低すぎますか?

素が内向的なので、
これでも大事だったんですよ。

うん、内向的、内向的…?

 

それにしても、
内向的だとか外向的だとか、
ちょっと表現が曖昧だと思いませんか?

事例を挙げてこれは外向的でこれは内向的だと仕分けていますけど、
自分は何を基準にしているのでしょうか。

 

自分は意識が外に向いている部分と内に向いている部分の比率だと考えました。

この外と内の意識は常に同居していて、
作業や心境、環境によって常に変動します。

どちらかに完全に傾くことはありません。

意識が外だけになるということは、
心が死んでいるということです。

意識が内だけになるということは、
身体が死んでいるということです。

常に変動すると言っても、
その人に取って居心地が良い比率が存在します。

そこから外れなければならないときに負荷が生じ、
体力なり精神力を消費して比率を変更させます。

比率変更のコストはほぼ一様のように思っていますが、
中にはコストがほとんどない超人が居るかもしれません。
(世に言う聖人とはこのような人たち?)

まあ人間には環境適応能力があるので、
長時間比率の変更に圧力をかけていれば、
居心地が良い比率は変動すると思います。

ただ圧力が強すぎると壊れてしまうかもしれません。

自分の比率がどのあたりなのか見当をつけることで、
自分の特性を活かせるのではないでしょうか。

 

おお、思ったよりもよくまとまりました。

これはなかなか良い発想だったのかもしれません。

でも二元論って単純な分穴が多いですし、
今後矛盾がいっぱい出てきそう…

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