2015年2月17日火曜日

twitterが議論に向かない理由を考える

よくtogetterとかを斜め読みしていると、
twitterは議論に向かないという旨のツイート/コメントをしている方を見かけます。

そこに関して反論する気は一切ないのですが、
当たり前すぎてその理由を考えてはいないのではないかと思いました。

ならばと適当に考えて、
列挙してみることにしました。

  • 議論に参加する気がない人が参加してしまう
    twitterはアカウントを登録していれば誰でもツイートできるので、
    議論をする気がない人のツイートもどんどん寄せられます。
    それはノイズとなってしまい、議論の品質を低下させます。
    反論ヒエラルキーはその多くにDH0を与えることでしょう。
  • 議題を読まずに参加しやすい
    最初の定義されたであろう議題を読むには、
    ツイートを遡る必要があります。
    途中から参加した人から見れば、
    議題は今のツイートから推論してしまうのではないでしょうか。
    場合によっては、
    まったく別の議題のように見えてしまうことも起こり得ます。
    これでは議論が発散する一方です。
  • 議論のまとめ役が存在しない
    議論を行う場合、ファシリテーターの役割は非常に大きいと思っています。
    ファシリテーターは議論の発散を防ぎ、
    議論の道筋を示します。
    twitterではもちろんそんな人はいないので、
    無制限に議論が発散することでしょう。
    逆にファシリテーター相当の役回りを誰かが引き受ければ、
    twitterでもそれなりに効果があるかもしれません。
    (それでも不向きでしょうが)
  • 議論の終了が分かりにくい
    ツイートは連続的なものなので、
    議論の終了をあまり意識できません。
    また議論の終了のツイートを見逃してしまえば、
    議論を再燃させようとする人も登場してしまうことでしょう。
  • 字数の制限による文体の変化
    人によってはtwitterの字数制限にかかりにくくするため、
    文体をで/ある調や命令形にして字数を節約することがあるかもしれません。
    それが論調として突き放したようなイメージを与えてしまい、
    DH2の反論を出しやすくしている可能性があります。
    (これは可能性としてはあまり高くないですが)

シンクロンではそのあたりの欠点は克服されているように見えます。

まあやっぱりtwitterはつぶやきに向いているってことですね。

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