2013年11月11日月曜日

手に入れし無線の力

手持ちのスマートフォンの充電端子がダメになったくさいので、
買い換えることにしました。

ただせっかくなので、
以前から注目していたQi対応機にしてみました。

auではまだこの一機種(iPhoneを除く)のみなのが悲しいですが、
今後普及することを祈って買うことにしました。

ちなみに、
普通に買うよりも1万円ちょい高くなります。

専用バッテリー、専用カバー、Qi対応充電機の3点セットですね。

さらにもう1台充電機を買って、
もう少しカッコよくしてみました。

あ、写真の黒い方ですよ。

黒のスマートフォンと相性抜群です。

これなら充電端子がダメになることもありません。

もっと流行れ♪(*´ω`*)

githubのTシャツを購入しました

いや、買ったのはもう結構前なんですが、
そういえば記事にしてなかったとネタに上げてみました。

このシャツのデザインが一番気に入ったので、
とりあえず一点買いです。

やっぱりあんまりロゴが出しゃばらないのがいいですね。

ただやっぱり送料が痛いので、
今後は何かのカンファレンスに出向いて購入したいです。

2013年11月8日金曜日

社内でまでお客様のフォーマットに付き合う義理はない

だいぶ前からExcel方眼紙の撲滅…

ゴホン!

Excelの適切な目的での利用を推進している自分ですが、
相手がお客様だったりするとそうも言えません。

印刷したら3桁になりそうな文書であっても、
一切の疑問も持たずにExcelで渡されたり、または要求されます。

編集しているうちに印刷範囲が狂っていき、
画像は印刷プレビューで違う位置に表示される…

匠の技に見えるバッドノウハウが横行し、
作業効率はがくっと下がることでしょう。


効率の低下は免れないにしても、
せめてその軽減には努めなければなりません。

せめて自分たちが扱う範囲では、
Excelという枷から解き放ってあげましょう。

具体的にはお客様から受け取る、
または提出する瞬間のみExcelであれば良いのです。

そのためには、
自分たちにとって都合のよいフォーマットへの変換プログラムが必要です。

だいたいは自作する必要があるかと思います。

ですが一般企業はともかく、
ことソフトウェアを専門に扱っている企業にできないはずはありません。

最初は逆に効率が下がることでしょうが、
いずれは逆転し、
企業全体の生産性向上に貢献してくれることでしょう。


その為のノウハウであれば、
それは決してバッドノウハウなどではないはずです。

社内のフォーマットを決めるのは、
社内の人間であるべきなのです。

2013年11月7日木曜日

日本語のソースコード、データベースのテーブル名について

結構大きな企業のデータベースを覗いてみると、
意外にも日本語のテーブル名、列名であることが多々あります。

さすがにソースコードで見かけることは少ないのですが、
日本語のファイル名やクラス名、メソッド名を付ける障壁は昔より減りました。

これらを良しとするのか、
それともバッドノウハウとして駆逐するのか。

この決着は未だについていないのですが、
自分はどうなのかを自問自答してみました。


その結果、
条件付きで日本語を使っても構わないというのが自分の結論でした。

その条件というのは、
システム内で頭から尻尾まで文字コードを統一しておくことです。

もし混在しているのであれば、
余計な問題に頭を悩ませることになるかもしれません。

ああ、UTF-8であればなお良しです。

XMLが最低限サポートする必要があるのがUTF-8(だったはず)なので、
最近のシステムならとりあえず選んどけレベルです。

後は海外製のソフトウェアやライブラリを入れないことです。

書式がXMLのUTF-8だからと安心していると、
日本語のためだけにエラーを吐くことなんて日常茶飯事です。

まあ普段使ってないとテストの項目にも上がりにくいものなのでしょう。

でも有名なオープンソースの大半は海外の作品なので、
この条件を入れるとかなり適用出来るシステムが絞られてしまったりします。


え~と結論としましては、
かなり限定的ですが日本語もありってことで。

限定の強さは…自分なら英語を勉強しておくレベルってくらい。

そんな感じ。

常識は疑ってかかった方が良い理由

「こんなのは常識だよ。」

おそらく日本中の、
いたるところで聞かれる言葉ではないでしょうか。

日本人は"常識"という尺度によって、
まったく明文化されていない様々なルールを共有しています。

"空気を読む"に該当する能力が低い人達から見れば、
お互いがテレパシーでもしているのではと錯覚さえ覚えます。

ですがこれがコミュニケーションの省力化を促進し、
高度成長期を支えてきたのではないかと言われています。


まあそれはさておき、
今日の話はそんな常識は疑ってかかれという話です。

とりあえず一例をスラッシュドット・ジャパンのコメントからでも…

"商習慣という糞"というのを引っ張ってみました。

これがどこまで真実なのかは定かではありませんが、
習慣や常識から悪いと思わない事例なんて枚挙にいとまがないのではないでしょうか。

ではなぜこんな事が起こりうるのか?

それは"常識"という時点で思考放棄しているからではないでしょうか。

プログラミングっぽく言えば、
action.isCommonSense(time, place)の結果のみに着目している状態でしょうか。

でもこの関数って前例主義で特にテストもされていないわけでして、
結果が正しいかどうかはかなり怪しいものです。
(何が正しい事なのかというのはとりあえず置いときます。)

他の方がテストしたら正しいのか?

いえ、
isCommonSense関数の中身なんて十人十色でしょうし、
結果が同じなのはたまたま価値観が同じってだけでしょう。

なのでこの関数の利用はどうしても判断するのに困ったときだけにして、
普段は自分の頭脳で正しい事なのかどうかを検証するべきではありませんか?


…う~ん、
これを万人に求めるには負荷が高すぎるでしょうか。

ではせめて、
isCommonSense関数の結果が間違っていることもあると認識していただけないでしょうか。


たったそれだけで、
日本はもう少しだけ良くなる気がします。
(常識に依存している人から見れば発狂する内容…なのかなぁ。)