2012年6月28日木曜日

コメント嫌いを嫌いにならないで

最近はブログや記事のコメント機能を封印しているところが出てきたように思えます。

これに関して批判の声が聞こえるわけなんですが、
書く側からはどうしてもこれを批判できないんです。

体感的にはよくわかることですが、
コメント機能ってまったく議論するのに向かないからです。

むしろ議論破壊機能っていいかもしれません。

理由は議長不在でしょうか。

コメントが伸びれば伸びるほど、
論点の数が増えて収束せずに拡散してしまいます。

いくら管理人がまとめようとしても、
コメントを禁止する以外に収束する方法が無いのです。

自由とは混沌なのです。

ブログや記事に議論を付けるには、
もっと別な仕組みが必要なのかもしれません。


2012年6月11日月曜日

twitterはなんなのか?

自分がtwitterを始めてそれなりに経過しました。

しかし、まるで活用できているとは言えない状態です。

やっぱり本当に言いたい事はブログの方が良いです。

つぶやきは短すぎますし、
連投も美しくありません。

やっぱり、
ブログとはまったくの別ものと捉えるべきなんだと思います。

停電が起こったときの近所の反応を見れるとかは、
まさにtwitterらしいですしね。

自分としては、
このようなリアルタイムさがtwitterの肝だと思っています。

…ちゃんとプライバシーを意識している人がどれだけ居るのかは
怪しいところですが。

2012年6月10日日曜日

プロフェッショナルの危険

少し前に、
啓蒙的な意味である書類が配られました。

内容は、
プロフェッショナルとしての自覚を持って仕事をしよう的なものです。

その後は、
プロフェッショナルとしての規範となる行動とはうんぬんかんぬんと続きます。

…う~ん。

言っていることそのものは正しいですけど、
これを書いた人の思った通りにはいかない気がします。

なぜなら、
プロフェッショナルはバズワードと言えるほど意味がぶれるからです。

「社会人としての」とか、
「技術者としての」とか、
そんな接頭辞がついていても同様です。

そうですね、
あなたがよく知っている業界で構いません。

その業界のトップレベルの人達に、
「プロフェッショナルとは何か?」
と聞いてみた場合を想像してください。

まったく同じ答えが返ってくるでしょうか?

おそらくは違うでしょう。

各人ごとに信念があり、
こだわりがあります。

その中には決して相容れないようなものも少なくありません。

変な言い回しですけど、
プロフェッショナルの定義を同一と捉えることは、
既にプロフェッショナルではないのです。

プロフェッショナルは押し付けられるものではありません。

プロフェッショナルらしい行動を推奨することで、
相手のプロフェッショナルとしての意識を奪ってはいませんか?

2012年6月1日金曜日

盛者必衰の真理

虚構新聞の騒ぎを傍観していましたが、
ちょっと思った事があるので語ってみます。

今回の騒ぎは大衆化がキーワードのように感じました。

例えば、
小さな島に移民が突然大量に流れ込んできて、
移民側の文化を押しつけていきます。

この移民が大衆で、
原住民から見たら侵略者です。

いつしか島は、
侵略され、
搾取され、
後には何も残りません。

何も無くなると、
移民は次の島を求めて旅立つのです。

彼らは本当に弱者なのでしょうか?

自分には、
弱者の皮を被った強者のように見えます。

大衆は、
全ての島を破壊する気なのでしょうか?

住む島が無くなれば、
今度滅ぶのは自分達なはずなのに…

なるほど。

人間が人間である限り、
滅びもまた必然ですか。

インターネットは大衆に島の位置を大量に教えています。

滅びもまた加速…なんてしてないですよね?