人間、
中庸であれとよく言われます。
盲信すぎてもいけませんし、
疑心すぎてもいけません。
不衛生では健康に悪いですが、
衛生的すぎても免疫が損なわれます。
簡単に言えば、
何事もほどほどにしなさいよって事です。
とは言っても、
完全に中庸であることは不可能なのではないでしょうか。
どうやったところで、
どこかしらに偏りが生じてしまいます。
強い嗜好や強い思想は、
それそのものが偏りと言えます。
かと言って主体性が無ければ良いかというとそうでもなく、
それも偏りの一種と言えます。
この世は偏りだらけというわけです。
そして自分も例外ではありません。
色んな所に偏りがあります。
それを改善するかどうかはともかく、
今回はその偏りのいくつかを自覚してみたいと思います。
自分がどのような方向に偏っているのかを知るのは大事なことです。
その反対側に居る人間を、
少しは甘受できるようになるかもしれません。
とりあえず、
自分の思想についての偏りを考えてみます。
う~ん、
自分はかなり論理的であり、
感情的な判断や行動を嫌っている気がします。
少なくとも、
論理的な事と非論理的なことを曖昧にはしたくありません。
自分が非論理的な思考をしているようであれば、
それを自覚して自身を制御しようと試みます。
いつも自分に言い聞かせている言葉は、
「感情は振りかざすものではない、込めるものだ。」です。
(たぶん原典はない…はず。)
あとはかなり個人主義に偏っているでしょうか。
THE WAVEはすごく身近なものであると捉え、
一致団結の先にあるものをとても警戒しています。
そして個人主義の思想を以って、
自分と他人が違うことを許容するように努めています。
それが多様性につながり、
ひいては寛容さに発展すると信じています。
逆に同じであることを強要しようとする動きには、
どうしても強く反発してしまいます。
「空気を読め」とか「常識で考えろ」とかのような、
日本のハイコンテクスト文化から一歩引いてしまうのです。
平均的な日本人より、
空気や常識に対して相当に懐疑的な立場と言えます。
…おっと、
このあたりを語りだしたらきりがありません。
というわけで、
たまには自分の偏りを自覚してみた次第です。
今度は感覚とか生活でも同じことを考えてみましょうかね?
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