今回は文化人類学のお話です。
エドワード・T・ホールがローコンテクストとハイコンテクストと提唱して、
もう40年以上が経過しました。
日本がハイコンテクストかどうかという議論はともかく、
コンテクストを意識することは非常に有用です。
例えば自分が何かを説明するときは、
常にローコンテクストを意識することで分かりやすくなるように配慮しています。
コミュニケーションに限らず、
経営やマーケティングにだって応用が効く準必須知識だと勝手に思っています。
しかしこれは自分が使う用に習得したものであって、
誰かに教えるということは一切考慮していません。(専門外ですし)
説明下手な人はそういった勉強をしていないのが悪いというのはもっともなのですが、
いざというときに教えられた方が良いのではないかと思うようになりました。
そこでコンテクストという概念を教えるシミュレーションをしてみたのですが、
どうも上手くいくイメージが掴めません。
コンテクストは分かりやすくはありますが、
それを理解しても使いこなせるとは限らないのです。
だいたいコンテクストを話に持ち出す人は、
すでに使いこなせている人という印象があります。
自分が直面している現象をコンテクストという概念に当てはめ、
誰に教わるでもなくきれいに消化しているのです。
そこに教えるという過程はありません。
誰かに教えるにあたっては、
もうひと工夫が必要なのではないでしょうか。
色々と考えてみた結果、
コンテクストを一般化してみてはどうかという考えに至りました。
コンテクストと一次元のベクトルとして表現できるようにするのです。
そうすればものさしのようにコンテクストを扱うことができるので、
多少はましになるような気がします。
その一般化とは、
「コンテクストは、高ければ高いほど理解に要する前提知識が増加する。」
なんてどうでしょうか。
大量の知識、一般的ではない知識が要求されればされるほど、
ハイコンテクストになるという考え方です。
これならまだ何とかなりそうな気がします。
…おっと、これはあくまでも分かりやすい説明の仕方という用途に特化していますね。
コンテクストを別の形で応用するには、
ちょっとこの一般化では不向きです。
また何か別の一般化が欲しいところです。
もっとコンテクストをツールとして使えるように、
頭の良い学者さんが体系化してくれることを願うばかりです。
いや、とっくに研究レベルでは存在しているのかな?[未調査]
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