2013年5月22日水曜日

政治がソフトウェアの品質を上げることはあるのか

あるバッチファイルを作っていたときのことです。

そのバッチの要件で多重起動禁止があったのですが、
お客様から提示されたロジック(psで調べる)では満たせないことが分かりました。

(確かflockはまだ無いバージョンだったので)
mkdirで生成に失敗したら起動中のバッチがあるとみなすのはどうかと説明しました。

そのときのリーダーはそれを踏まえた上で、
お客様の面子をとってpsでの不完全な排他の実装を命じました。



いわゆる、
政治的事情による判断というやつです。

ソフトウェアの開発において政治が深く絡むパターンとしては、
論理的に正しいことを“無理が通れば道理が引っ込む”で捻じ曲げるために使われます。

ソフトウェアが論理的に正しくなくなるということは、
動かなくなるか品質が下がるということです。

確かに、
自分自身で使うものを作っているので文句を言うなというのは理解できます。

しかし、
大金を使って作っているソフトウェアの品質を下げてまで通す価値があるものなんでしょうか。



きちんと話せば分かってくれるという意見もありますが、
デッドラインを読み終えた今となっては信じられません。

世の中には自分の思い通りにいかなければ全てNGという人種がいて、
その人種が権力を持っている場合は逃げるか排除する以外の方法は発見されていません。

つまり政治がソフトウェア開発の問題になっている時点で、
そんな人種とぶつかっているということであり、
自分から見たら詰みの状態なわけです。



まとめると、
政治色が強ければ強いほど、
そこに対して開発するソフトウェアの品質は低下します。

パッケージを導入したとしても、
その使い方で政治が発生してパフォーマンスを低下させます、

官公庁に品質の良いソフトウェアを提供することができないのは、
彼らが政治で物事を解決しようとするからではないでしょうか。




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