よく日本では、
一点特化型の成長が嫌われる気来があります。
(いえ、海外でもそうかもしれませんが。)
良くいう、
短所を無くせというやつです。
長所を伸ばしても短所が足を引っ張るという意味だと思われます。
でも一芸に秀ていなければ、
他の凡庸な誰かと大差ありません。
いざとなれば十把一絡げに切り捨てられるではなきでしょうか?
…と言いたいところですが、
厄介な落とし穴があります。
一点特化はその能力が高すぎる故に、
正しく測定できる人間が限られてしまうのです。
だから短所ばかりが目に行ってしまい、
貴重な人材だと気づかれることなく切り捨てられてしまいます。
ドラゴンボールに例えれば、
スカウターが壊れるようなイメージでしょうか?
戦闘力に10倍の開きがあったとしても、
どっちもスカウターが壊れれば違いなんて分からないのです。
ああ、一点特化は幻想なのか!?
…本当にそうでしょうか?
一芸に秀ることで成功している人間は確かに居ます。
彼らはなぜ能力の高さが理解されたのでしょうか?
彼らは、
彼らはもしかして、
スーパーサイヤ人になれたのではないでしょうか。
とっても目立つ逆さ金髪的な意味で。
彼らはサイヤ人の壁を突破したのです。
例え墓穴を掘ったとしても、
掘り抜けたなら、
あなたの勝ちってわけですよ。
つまりはスーパーサイヤ人になれれば、
一点特化の幻想は幻想になります。
…ならどうするべきか?
自分が思うに、
一点特化にこだわりすぎて失敗してるんじゃないかと予想しています。
たった1つのスキルしか振り分けないせいで、
スキルツリーに限界が来ているのです。
スキルを本当の意味で極める為には、
周辺にある関連スキルを取得しないと到達できないのです。
例えば日本人ブログラマーがプログラミングを極めようとします。
しかしある段階になると、
英語をいくばくか取得しないと次へ進めなくなのです。
ここで英語を覚えないと、
スーパーサイヤ人は夢のまた夢となってしまいます。
一点特化は正しいのです。
ただ、一点特化を成立するには多少は一点特化ではない必要があるのです。
だから一点特化は幻想であり、
一点特化の幻想もまた幻想なのです。
…実際にはそんな単純な話ではないでしょうけど。
0 件のコメント:
コメントを投稿