よく、分かりやすく説明できない方が悪いという風潮があります。
(被害妄想ですけど)特にプログラマーが技術について話すときは顕著で、
難しい事を長々と話されても訳が分からないと言われます。
まあその指摘は一理あります。
プログラマーという人種そのものが説明ベタの傾向がある気がしないでもありません。
(というより、学者全般かもしれませんけどね。)
簡単なものなら図式を使えば何とかなるかもしれませんが、
抽象化のレイヤーが上の方になると図解ですらややこしくなります。
「百聞は一見にしかず」とは言いますが、
ソフトウェア工学はその一見を見せる方法を見出していないようです。
でもプログラマーには、
確かに見せられなくても見えているものが確かにあるのです。
それは*境地*なのかもしれません。
私達にはプログラミングの境地が見えているのです。
お金でかいけつすることはできない。
コンコルドを使っても見つけることはできない。
誰かに頼み込んでも連れて行ってくれることはない。
手助けすることはできても、
最後には自分の力で到達することでしか行くことはできない。
そんな昔話に出てくるような、
幻想の土地が見えているのです。
ソフトウェア会社の社長が元プログラマーであった方が良い理由はここにあります。
どれだけ言葉を並べても、
どれだけ図解を並べても、
その*境地*は決して見せられるものではないからです。
しかしその差は、
開発するソフトウェアへ確かに反映されるのです。
どれだけ言葉や図を並べても伝えられない物、
見えなくても百聞は一見にしかずな物、
そのひとつが*境地*なのではないでしょうか。
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