プログラマー談義をしていたときのことです。
プログラマーは学者の性質と画家の性質を持っているという話題が出ました。
そのときは「うんうん、そうですね」で済ませてしまいましたが、
具体的にはどのあたりが当てはまるのでしょうか?
まあ挙げればたくさんあるでしょうけど、
一番大きそうなのをそれぞれひとつずつ挙げてみることにします。
まずは学者です。
これは"言葉を厳密に定義している"が一番大きいと思っています。
さすがに概念的な用語に関しては意見が割れたままだったりしますが、
一度決まった用語に関してはかなり厳しいです。
一般の方の知識であれをやりたいこれをやりたいと言われると、
その理解の食い違いでひどい目に合うことが多々あります。
実際はADSLでインターネットに接続したいという要望なのに、
「LANを構築したい」なんて説明された例があるとか。
(まあこれはネットワーク話ですが、プログラマーなら特に苦戦しないですしおすし。)
プログラマーはチューリング機械とお話する関係上、
学者並の言葉の厳密さが発生してしまいがちです。
日常レベルに食い込んでいる学者、
それがプログラマーなのかもしれません。
やっぱり、*ソフトウェア工学*だってことです。
では画家はどうでしょう。
こっちは思いあたる節が多すぎて絞りにくいのですが、
あえて挙げるなら"作り上げたものに美を見出す"でしょうか。
これは別に画家に限ったことではないですけど、
画家というメタファーを使うときはクリエイター全般としての扱いが多かったもので。
…経営者と対峙しやすい部分とも言えるかもしれません。
ソースコードの美しさを理解するには相当の技量を要求します。
そして、美しさの価値は美しさが分かるものにしか意味がないのです。
画家に対して美しさはどうでも良いから大量生産しろと言う人は少なそうですが、
プログラマーに対しては美しさはどうでも良いから大量生産しろと言う人はたくさんいます。
画家に言うそれと同じくらいの侮辱の言葉なんですがねぇ。
もしそれが鬱陶しいを思うのであれば、
ソースコードに美を見出すプログラマーを全員クビにしてみてください。
プロジェクトが技術面で炎上するのが確定すると思いますけどね。
プログラマーのレベルが高いということは、
それだけソースコードに美を見出していることと等価なんじゃないでしょうか。
このあたりのお話は、
「ビューティフルコード」でも読んで、どうぞ。
…書けば書くほど理解してもらえなさそうな現実に絶望してしまいそうです。
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